命について

「診療所の窓辺から」小笠原望・著

雨水を過ぎると、春の気配が色づきます。

先日、大安の一粒万倍日の日の夕方に、思い立って、近所にある出雲大社へお参りに行った時、紅白の梅が咲き誇っていて、手を合わせながらいい香りに包まれました。

仕事終わりのちょっとした合間でしたが、立ち止まり、心を整えるには、十分で、春を感じる香りに、身体の軸も整い清々しい気持ちになります。

つかの間でも、こういう内側の静けさとつながり、気持ちのいい空間で過ごすことを、とても大切にしています。
少し立ち止まって五感を研ぎすませば、呼吸だけでもボディーワークになりますし、ヨガにもなります。

表題は、尊敬する「小笠原 望」医師の著書の題名です。

『いのちを抱きしめる、四万十川のほとりにて』と副題がついています。小笠原先生は故郷の高知県四万十市で内科医をされていて、在宅医療、神経難病などの分野で活躍されている医師です。

自然死を望む人が多くなってきている中で、在宅医療で看取りに寄り添っていて、その経験から語られる言葉は、命について、生きることについての、本質を語っていて、
時にやさしく、わたしたちが自らを苦しめてしまっている思い込みから、自分を救い出す気づきを与えてくれます。

著書の中から、今日、目に止めたページを、書きとめておこうと思います。必要な人へ、必要なタイミングで届きますように。

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【『できることはした』それが、看取り】より

「母の臨終に間に合わなかったのが、今でも残念で心残りです」と随分前に母親を看取った患者さんがぽつりと言った。抑うつが続く。

「ぼくは父も母も最後には立ち会っていません。父は妻からのメールが仕事中にあり、母は明け方、兄からの電話でした。
ぼくはそれまで両親との時間を大事にして、ぼくのできることはしてきました。最後の瞬間だけが看取りではなくて、その過程だと思うのです。ぼくには悔いはありません。臨終の瞬間にいるかどうかは問題ではないとぼくはずっと思っています」

臨終に立ち会うことが、看取りだとの誤解は意外と多い。

妻の母は自宅で、カセットテープで童謡を聞きながら、最後を迎えた。妻は、そばで穏やかに母の死をひとりで受け止めた。それも看取り。
朝にのぞきに行ったら呼吸が止まっていたのも大往生。
病院や施設から電話があって、駆けつけた時には最後を迎えていても、それも看取りなのだ。

「できることはした」そう思って残されたぼくたちは、それからを生きてゆきたい。
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夫は、忙しい両親に代わっていつもそばにいて育ててくれた、大好きだった祖母の最後に間に合いませんでした。
わたしは、岡山へ帰る時には、いつも祖母の好きな甘納豆をお土産に買って行き、包丁を研いでもらうのを待っている祖母のために、夫はよく包丁を研いであげました。

遠くにいて、看病も故郷にいる家族任せで、帰ったときだけでは、手伝いもあまりできませんでした。
けれど、お墓参りで手を合わすと、たわいもないことでも祖母が喜んでくれた、その笑顔が浮かび、
わたしたちも、できることはしたんだな、と思うのです。

時々、こう思います。
最後の姿を知らないということは、生きていたときの笑顔を覚えていてほしい、会えなくなってもいつも応援してるから、と、旅立つ人からのそんな祈りが届けられているのではないかと。。。

「臨終の瞬間にいるかどうかは問題ではない」という、小笠原先生の言葉が、やさしく心に沁みました。

苦しみの多くは、ふとかけられた言葉や、自分の思い込みから作り出した幻なのだけれど、本当のことのように信じ込んでしまい、ずっと握りしめてしまいます。

わたしは、ゆっくりと、幻の一つ一つと向き合って、握った拳をひらいていく練習中です。