樹木希林さんがお茶の先生を演じられた、「日日是好日」。
声が出なくて咳き込みやすかった時に封切られ、映画が無理そうだったので、先に本を読みました。
心の琴線に触れる言葉が多くて、みぞおちがグーと熱くなり、涙ぐんでしまうことも。電車の中や動物病院の待合室などで、目が赤くなって困ることもしばしば起きた、すてきな本です。
『先生は色づいた葉を花として扱った・・・わたしは花をなんて小さな枠でみていたのだろう。茶花のない季節などなかった。退屈な季節など一つもなかった。掛け軸は今の季節を表現する。けれど季節は、春夏秋冬だけではなかった。人生にも季節があるのだった。どんな季節にも無駄な季節などない。』
生まれて初めて人生の長い冬を経験した主人公の、心模様を綴った文章です。
人生には、突然、思いもかけない出来事が起きて、昨日までとても良い季節だと思っていたのに、ある日突然、真冬のような厳しさや孤独、辛抱を強いられるような、そんな変化が訪れることがあります。
わたしも、宇宙のまっくらな闇に1人で放り出されたような、堪え難い孤独を3年あまりも過ごした時期があって、二度と春が来ないように思える夜もありました。
いまが、そんな時と感じている人もいるかも知れません。。。
数秘学や、占星学というような運命学を学んでいると、人には必ず大きな節目になるような季節がやってくるのだと、知らされます。
人生の限りにリアルに気づいたり、なんでもない花だと思っていた花がとても心に染みたり、誰かの何気ない一言で心があたたまったり、冬の季節が教えてくれることは、とても深く、いわゆる人生観をまるごとひっくり返されるような、大きな変化をもたらすことも。
自分のチカラの及ばない何かに屈するのではなく、それを丸ごと受け入れて、どれも自分の人生だと、覚悟を決められたら、人はそれまでにはなかったような、生命力という強さや慈愛の柔らかさをまとって、命の輝きを放ちます。
そんな魂の生き様に触れたとき、とても尊く愛おしく感じて、わたしの魂は震えます。人間という生き物の弱さと強さと、ひたむきさに。
ずっと、見守ってきた大切な人たちが、ゆっくりと雪解けの季節を迎えつつあり、春の気配をまとい始めました。
本の中の表現を借りると、自然と同じで一気に春にはならず、春のような日もあれば、また冬に逆戻りしたり、揺り戻しを繰り返しながら、人生の季節もゆっくり春へと進んでいる、そんな春の気配です。
『自然に身を任せ、時をゆっくり過ごす』人生の季節も自然の季節と同じなのですねー。
わたしたちは自然の一部。自然と共に生きている。
自分とは自然から分かれた身。
結果を強いるだけでなく、もっと感じることや本能という方向から、自分とコミュニケーションを取ってゆくこと、
正解と間違い、成功と失敗の分離の世界観から抜け出して、人の数だけ答えがあっていいし、答えが出せなくても、プロセスを経験し感じてゆくだけでほんとうは素晴らしいんだと、気づいていきたい。
カラダやココロのワーク、セラピーの智慧を、人生の季節を過ごすリソース(心理的資源・能力)として、これからも伝えていきます。
わたしたちは、自然の中の生き物だから♡