パワースポットリトリート

衝撃の小旅行☆京都【貴船編】

今日も、ブログを訪問くださり、ありがとうございます!

さて、鞍馬の続きはいよいよ貴船です。(貴船神社でわたしは、とても重要でありながら、恐怖のあまり無意識の奥へと閉じ込めた、人生を動かしていたものの正体を自分の中に見つけることになります。)

鞍馬寺で『大丈夫』というメッセージを受け取って、再び太陽の気を浴びながら下山し、貴船神社へ移動して、参拝の前に川床で素麺のお昼ご飯をいただきました。

貴船のひろ文(ひろぶん)さんの清涼膳、京都の川床で3800円という、かなりリーズナブルなランチです♡


川床での食事は初めての体験でしたので、感動でした。
とても涼しくて、京都洛北の豊かな緑と清らかな水の上に居るわけなので、それだけでも浄化されていくような心地でした。

 

鮎は地元でいただくよりも小さくて旨味が濃く、また、三輪素麺はとても細いのにコシがあって、ツルンとした喉ごしに、いいお素麺だとすぐにわかりました。京都はやはり、ひと味違って上品です。

 

おいしいご飯と漬け物もついてきて、京都でこの組み合わせは絶対美味しいに決まってますよね!すべて完食しました♡

お食事の後は、川の横を歩きながら、貴船神社本宮の表参道まで移動したのですが、その道中、黒い大きなアゲハチョウが何羽も現れて、驚きです。みずえさんのお話では、変容が起きる予兆なのだそう。

そして、その道中からずっと、わたしはみぞおちの痛みに襲われていました。このときは、お昼を全部食べてすぐに動き出したからだと思っていたのです。

表参道を歩いて、本宮社殿の境内に入ると、七夕飾りがあり社殿の前には夏越の祓のために茅の輪も作られていました。

 

茅の輪をくぐり、穢れを祓って本宮に参拝して、奥宮への案内がある道を進む途中から、みぞおちの痛みが背中へ響くほど強くなり、痛いと口に出したいくらいになりました。

みずえさんに背中を擦ってもらっていると、わたしのお腹の中で小さな子どもが地団駄を踏んで抵抗していると言って、みずえさんがものすごく咳き込んでしまって、だんだんと吐きそうになるくらいの咳になってしまいました。

何を恨んでいるの?思い出してみて?と聞かれたのですが、この時には何も思い出すことができませんでした。

実際、わたしのお腹の痛みは、中から手や足で蹴られているような痛みだったんです。子どもがダメダメ!絶対にダメ〜!と訴えていると、みずえさん。

それって、鞍馬寺で感じた『大丈夫だからやりなさい!』のメッセージとつながるなら、わたしのお腹の声は、それに対して、やっちゃダメ〜って、言っていることになる、この時、わたしはそう思いました。

何が大丈夫で、しかもダメなんだろう。。。

この疑問の答えは、中宮にある結社(ゆいのやしろ)で、潜在意識(無意識)の奥底へ封印した記憶を思い出し、見つけることになります。

結社は、京都に行く前に遠足で行った、大室山の化身といわれるイワナガヒメが祀られています。みぞおちの痛みがピークになった時にあった小さなお社には、イワナガヒメの妹のコノハナサクヤヒメが祀られています。
コノハナサクヤヒメは浅間神社や山神社で何度も参拝しているし、大室山も行ったばかりで、ずっと導かれていたのかも知れません。

結社は今回のリトリートの要の場所なので、ここでみずえさんから一人一人がワークを受けることになり、その様子を自分の番までお腹を擦りながら見ていたら、何があったのかをフッと思い出しました!

わたしの潜在意識(無意識)が恐れていたもの、それは、自分で思うよりも深い傷、トラウマになっていたのでした。

この傷がずっとわたしの人生を動かしていたと考えてみると、わたしがよく感じる自分のココロのクセや、生きづらさが、このトラウマから来ていたんだということに、合点がいきました。

だれにでもある、無意識の傷。人生を動かしているのは、実は無意識のエリアと言われています。だとしたら、その正体を知ることは、とても大事なことです。

この旅日記の最初に書いたように、トラウマとなった出来事のことは、別で書きますが、書くには、とてもエネルギーが必要となるでしょう。もう一度、その時の感覚を感じることになるからです。それでも、書こうと思います。

わたしの中で何が起こり、自己防衛のどんな能力が働いていたのかを、書くことが誰かの救いになり、書くことがわたし自身をも救い、癒すことになると思うからです。

貴船神社の中宮を後にして、また川沿いを歩いていて、帰路につくと、今度は白い蝶々が何羽も現れました。わたしたちが闇から光へと変容する予兆なのでしょう。実際にわたしは、このあたりから、痛みが和らいでいきました。そして、帰りに叡山電車の中で、みずえさんと数人のお仲間に、思い出した一部始終を話すことができて、痛みは跡形もなく消えていきました。

この時に、躊躇無く話せたことはまるで奇蹟です。

今、わたしは、わたしという人間の中身をちゃんと見てくれる人たちに囲まれています。そして、世の中の親切な人たちに遭遇し、助けられて生きています。
世界は、優しいんだと気づき始めました。

なので、きっと、勇気を持つことが出来ると思います。

このトラウマがあったから、わたしはセラピストの道へと進んできたのだと思います。このトラウマを、わが身を以て経験したことは、セラピーをする上で、知識的にも感覚的にも、助けになりチカラになっていくと思います。

人生では、30代で自分が何者なのかと向き合い、40代でどこへ向かうのかと向き合い、50代で痛みを手放すことと向き合い、そうして、60代以降、自分にあるものに気づき感謝の気持ちで幸せだと感じられるか、ないものを探し不足感から不幸を嘆くか、どちらかに分かれていくそうです。

痛みの手放しを促される衝撃の小旅行となった京都!闇と光、男性性と女性性、両極でありながらひとつであることを、身体を通して、体験的に学びました。

忘れられない、とてもいい旅でした。行って良かった!

来年の大人の部活動で、京都にリトリートに行きたい。6月の京都は以外と空いているのです♡

*写真は一部、みずえさんにシェアしていただいたものも掲載しています*