心理学だと怒りは感情の最後の蓋と言われます。そう考えてみると、怒りの中には、悲しみや淋しさ、不安や傷ついた感情など、痛みを伴った本音を隠しているように思います。
怒りの正体と真っ向から向き合うのは、自分の本音を認めることになるので、なかなか難しく、不要なプライドや意地が邪魔をすることも多く、けれども、人生では、この怒りのエネルギーがあったから、頑張ってこれた!ということもあると思います。
怒りという感情が引き起こすいろいろなこと、そして怒りはどう収めればいいのか、その一部始終を、父がわたしにずーっと見せてきたので、それが辛くて生きづらさも感じてきましたが、ほんとうに、いい面もそうでない面もすべてを見せているのを思うと、一生を通して、わたしの反面教師を引き受けているのではないかと思うくらいです。
その父に、この夏、30年分の過去がひっくり返るくらいの衝撃的な出来事が起きました。
それは、夏の終わりに、親戚の伯父の葬儀の時に起きました。お通夜の忌中払いの席に、父を、借金の保証で苦しめた、父の弟であるおじさんが来ていたのです。
父の弟は、経営していた会社が倒産して、姿を消してしまってから、もう、何十年も音沙汰がなかったのだけれど、遠い所からわざわざ訪ねて来て、顔を出していたことに驚いて、心臓が止まる思いでした。
父が顔を合わせたらと思うと、わたしと妹はホントにドキドキしたけれど、おじさんは、昔のオレ様な勢いが全くなく、幼い子どものような雰囲気で、忌中払いの席に座っていました。
病気の後遺症があるらしく、姪や甥のわたしたちのことは、なんとか思い出していましたが、自分のしたことの細かなことは忘れているようでした。
なんというか、罪の意識がない無垢な雰囲気をまとっていました。
そんな今だから、顔を出そうと思えたのかも知れません。
父は一つ離れたテーブルに座っていて、途中からおじさんの存在に気づいたようで、黙って先に帰って行きました。
私たちは、父の性質をよくわかっているので、家にいる母へ、怒りをぶつけるのではと心配で、挨拶をすませ、席を立ち帰路につきました。
帰宅後、妹から、父は静かにテレビを観ているという連絡が入りました。
父は、27年以上もの長い間、記憶の中で、自分が借金を背負うまでのいきさつを、何度も思い出しては怒りをためて、記憶の中の弟を恨んでいたから、今日、突然、本人が現れ、自分の記憶の中とは別人になっている姿を見て、
今まで何に対して怒りを抱いてきたのか、そのリアリティが消えてしまい、ほんとに突然、怒りの対象を失って、そして、今まで感情のすべてを受け止めてくれた母は、もうその役目は負えないから、静かにテレビを観るしかなかったのだと思います。
もし、一生会うことがなかったら、父は記憶の中の弟をずっと恨み続けたでしょう。
人間は赦す(ゆるす)ことを学んでいるんだと、むかーし知人から聞いたことがあります。父の人生はまさに、それを学んでいるような人生です。
幼少期から厳しい環境にあって、孤独の意味すら理解できない小さな頃から、どうして自分だけという悲しみや寂しさを抱えては、怒りで封じ込めて、その怒りを原動力に変え、生き抜いてきました。
怒りに支配されてしまわないこと、怒りをコントロールして手放すこと、天地がひっくり返っても赦せないようなことですら赦すことで、道が開けていくんだということを学んでいる人生で、それをわたしたち娘や孫に身をもって教え伝えている人生なのだと思います。
今日のこともうまく消化できるかは、わかりません。
亡くなったおじが引き合わせた、今日の運命的な出来事と、初めて、怒りの感情にのみ込まれない父を見て、
人間は結局はどんな不条理なことや理不尽なことでも、自分から赦すことでしか、怒りから解放されることはないんだと、教えられました。
その夜の自分を振り返ってみると、幼少期から長く、家に争いごとが絶えなかった一番の原因である、そのおじさんと遭遇して、以前だったら、全身が心臓かと感じるほどドキドキして、普通でいられなかったと思うけれど、今は、自分を安心安全の中に導く術を知っているから、呼吸や感覚から自分の中にしっかり身を置いて、落ち着きを取り戻し、父を心配しながらも、いとこ達と歓談して通夜の時間を過ごせたように思います。
それでも、帰宅後に、妹から父の様子を聞いた時は、胸の奥が詰まって涙が出ました。父のココロの痛みを感じたように思います。
人間って、時にとても悲しい生き物です。
けれども、そんな時でも、自分の呼吸や感覚に戻っていくと、父の心臓も変わらず鼓動を刻み、肺は空気の循環を繰り返し、カラダがココロを支えていることに思いを馳せると、悲しさと同時に生命を慈しみ信頼する気持ちが湧き上がってきます。
わたしはずっと、怒りのコントロールができない父が嫌いでした。テレビなどで、苦労を重ねていても人を恨まずに、穏やかに生きている人を見ると、父と比べて、そう出来ない父を、より嫌だと思ったし、その娘である自分がとても価値がないように感じて、うまくいかないことはすべて育った環境のせいだと思っていた頃もあります。
けれども、いま、こうして、人間のことを学び、人生で経験した痛みや生きづらさを通して、カラダとココロと向き合う時間を持ってみると、わたしは父のことがとても好きだったのだと気づきました。
父はヒーローだったのです。いつも強くて堂々としていて、よく働き、強いものに媚びずに、自立して生きるチカラを持っていました。憧れだったからこそ、どんな時でも、凛として正しくいて欲しかったのかもしれません。
そのことはわたしのホロスコープにしっかり出ていて、心理占星学の先生に告白したとき(嫌いと言い続けてきたのに、好きだったと言うのには、100万倍の勇気が要りました!笑)、
先生が『お父さんが家で自分の弱さや醜ささえもすべてさらけ出せていて、家庭を信頼していたんだね』と言ってくださり、あー、そういうことだなーっと思いました。
ずっと、いわゆる外面がいい父をずるいと思ってきたけれど、それで良かったんだと思いました。みんなが家では自分をさらけ出し、人に見せられないココロも見せて、本気でぶつかっていたんだと。
わたしも、父のことをほんとうに、心の底から赦す時がきたのだと思います。
そしてそれは、父の中に見てきた、似ている自分、嫌いな自分を赦し、受け入れていくことでもあります。
怒りは火のエネルギー。ノーを言うチカラを育て、生きる力を育てます。
火は自然界にないもの。神さまが人間に与えてくれた知恵のエネルギーです。怒りは感情の最後の蓋と言われていて、その中には、消化できない悲しみや寂しさ、不安や恐怖、を閉じ込めています。
火のおかげで、暖をとり、炭を作り、食べ物を焼き、器を作ることもでき、生活が豊かになりました。けれども、コントロールできない火はすべてを焼き尽くしてしまう脅威にもなります。
怒りを手放すときは、その中にある、様々な感情が浄化されるときでもあります、それが起きたときに、人は、人生の意味を深く感じる得るのかも知れません。