ココロスピリチュアリティ

心のリハビリテーション、スピリチュアルとは@日野原先生

2017年にお亡くなりになられた日野原重明先生。
日野原先生は生きるヒントになるような、心に響く言葉をたくさん遺してくださいました。
今日はその中から、わたし自身がノートに書き写して、時々読み返している言葉を紹介します。

『スピリットという言葉は難しい意味を持っています。ネパールの朝焼けが山々の稜線を浮かび上がらせるのを見ていた時、戦争もない、貧困もない、ただの宇宙の中に生かされている自分というものを感じました。おそらくそのような気持ちをスピリチュアルな体験と言うのではないでしょうか。
体のリハビリテーションだけでなく、心のリハビリテーション、ある場合にはスピリチュアルなリハビリテーションが与えられることで、その人が希望を持って歩こうという姿勢につながっていきます。』

スピリチュアルな体験とは、説明の出来ない感動や畏敬の念を感じるような体験のこと、そんなふうにわたしは感じています。
みなさんは、どんなふうに感じますか?


そして、わたしは、往々にしてそのようなことを自然の中や、神仏の象徴の前で体験することが多く、同じような感覚を、芸術や、身体の学びの中に見出すこともあります。

初めて屋久島へ旅した時は、島に降り立った途端に訳もなく涙が出ました。屋久杉の森の中では、種を超えて命が継がれ、多種多様な植物が一緒に生きている様子に、すべてがあるがままで受け入れられているような気がして、その中にいると、あたたかなものに包まれているような気持ちになりました。

その時は気持ちをうまく説明できなかったのですが、あとになってみると、子どもを産まなかった自分を、その時に初めて心から許そうと思い、新しい自分に出会うための入り口に立ったように思います。

リハビリテーションとは元に戻すというよりも、今に最適化するという意味です。ある意味、新しい自分に生まれ変わるようなイメージでもあります。

『自分の命がなくなるということは、自分の命を他の人の命の中に残していくことである。自分に与えられた命を、より大きな命の中に溶け込ませるために生きていくことこそ私たちが生きる究極の目的であり、永遠の命につながることだと思う。』

という、日野原先生の言葉を読んだ時、屋久島の森の中にいる感覚が身体の中に蘇りました。

心のリハビリテーション、スピリチュアルなリハビリテーションが、生きる希望の光を与えるということを、わたしも身をもって体験しています。

あの体験があったから、今のわたしのライフワークがあります。

時に、同じような感動を1枚の絵の中に覚えたり、舞台を観ていて感じることもあります。ライオンキングはまさにそれでした!
コンサートや音楽を聴いているとき、映画のワンシーンでもありました。
スポーツやアスリートの姿から、受け取ることもあります。

スピリチュアルな体験は、説明のできない涙を伴うことも多く、そんなときは、エネルギーが心の泉から自然と湧き出るような、今を生きているという実感に満たされるような、そんなダイナミックな何かとつながっている瞬間かもしれません!

2019 .12.16大人部活動/本栖湖にて撮影