パワースポット祈り

祈りの尼寺 大原 寂光院

京都の大原に、訪ねてみたかった古刹があります。
大原 寂光院です。
ただ直感だけで惹かれたそのお寺を訪ねてみたら、赦し難い悲しみをすべて受け入れて生きた女性と、仏さまの物語がありました。

平清盛の娘、徳子さまが尼になり、亡くなるまで過ごした場所が寂光院です。
壇ノ浦の戦いで、まだ7歳の我が子安徳天皇を、自分の母親が抱いて、入水する姿を見届けた後、自身も海へと身を投じますが、源氏の軍勢によって、船へと引きあげられてしまい、人質のように一人生き残るという過酷な運命を受け入れて、一族と幼子への祈りに終生を捧げた場所です。

そこには、奇跡としか言えないような、仏さまのお話がありました。
仏さまの、お腹の中にあった小さな地蔵菩薩像の数を全部合計してみたら、6、“愛”の数字だったことに、驚いた記憶があります。

このお寺のことを知りたいとおっしゃったクライアントさまのためと、他にも、お寺の存在を知ったら、訪ねたいと思う、ご縁を持つ人がいるような気がして、FBに綴った過去の記事と写真の記録を、ブログに残しておきます。

ー2016年10月1日新月のFBよりー

京都大原で受け取ったメッセージを思い出そう。

天台宗の尼寺、寂光院。
初代住職は聖徳太子の乳母、玉照(たまてるひめ)。

ご本尊は、六万体地蔵菩薩立像(ろくまんたいじぞうぼさつりゅうぞう)。
2000年に、放火による火災で損傷したため、現在は復元されたご本尊が本堂に安置されている。

美しい柔らかな衣に身を包み、左手からは5色の紐が垂れ、その紐を握ると地蔵菩薩さまとつながることができる。

2000年のその日の翌朝、火災で屋根が焼け落ちた本堂で、真っ黒に焼けたお姿で朝陽の中に凛と立っていたという。

焼けた体内からは、3417体の小さな地蔵菩薩像が見つかり、その胎内仏の一部が復元された仏様の体内にもおさめられた。

お姿が変わっても、脈々と続く祈りは変わらない。

形ある物は壊れるもの。
大切なことは目には見えず、失われることも奪われることもなく、そのエネルギーは継がれていく。

寂光院を閑居御所(かんきょごしょ)として終生を過ごした、平家物語の悲劇のヒロインと言われる、建礼門院徳子さまの祈りの日々。その想いをすべて受け止めてきた空間で、

背中に宇宙を背負い、美しさを放つ仏さまの左手の紐で結ばれて、平和を祈った時間。大きな存在を感じた。
お腹のあたりがあたたかくなり、涙が出た。

京都洛北の静かな里山の奥にひっそりと佇む古刹には、慈愛に満ちた祈りの氣が満ち満ちていました。

玉照の時代から今も変わらず尼寺です。女性性のエネルギーに変わる今のタイミングでまた訪れたら、いいだろうな〜と、思いながら書いています。

大原地区へ旅する機会があれば、ぜひ訪ねてみてください。
しば漬け発祥のお寺でもあります。門の前のしば漬け屋さんは、家族で作っていて添加物が少なく、とても美味しいので、こちらも是非♡