つぶやきコミュニケーション

今見ている光は600年前のもの。

今日、FBのフィードに上がった、今、学んでいるボディーワーカーさんからのシェア。

世界中どこでも鮮明に見られるオリオン座の、空に向かって見たときの、左上にある赤い星、ペテルギウスの光に変化が起きているという記事。

『ベテルギウスは100万年以内に爆発する可能性が高く、もしかすると10万年後にも爆発するかもしれないという。あるいは、すでに爆発しているが、私たちにはまだ見えていないのかもしれない。
ベテルギウスから出た光が地球に届くには600年かかるため、私たちが現在観察しているのは600年前のベテルギウスだ。現代の私たちがベテルギウスの爆発を見たとしたら、実際に爆発したのは中世であり、爆発の光が今になってようやく届きはじめたということだ。』

ベテルギウスは、明るさがやや不規則に変化する「半規則型変光星」。
オーストラリアの先住民アボリジニは何千年も前からベテルギウスの明るさが変化することに気づいていたそう。

大昔の人は、空を見て、風を感じて、動物的本能の能力を最大限に使って、生きていたのだろうな。。。思考じゃなく。

思考は時に、心に葛藤や対立を呼び起こす。


今日、人の言葉に、少し、傷ついたように感じた。
頭は、自分に向けられた言葉を、冷静に客観視して、自分の過去の不器用さと一緒に受け止めていた。

不器用で、傷つきやすく、逆に人を傷つけてしまったわたしもわたし。
生きづらかったその経験から、今があって、心から人にありがとうを伝えられるわたしもわたし。

どっちもわたし。
ありのままとは、闇も光も両方を、ありのままに受け止めるってこと。

そして、自分に向けられた言葉を、自分のストーリーをのせずに、ありのままに、まっすぐに受け止めるだけ。

でも、ありのままって、時々、キツイ。だから、原因を相手にしてしまうのだろう。
頭は冷静でも、カラダはチクッと痛かった。胸のあたりがチクッとした。
相手の持っているヤイバは自分も持っている。鏡だから。

だから、想像力を持つことを忘れないようにしようと思った。

人生の中で、誰でも一度は出会ったことがあるだろう。わたしもある。
この人、どうしてこうなんだろう?と思わせる人。
そして、わたしも誰かにそう思わせていた。

どうしていいかわからない、持て余す感情を抱えてしまうことがある。
それゆえ、外に出す時に、うまく表現できないときがある。

そして、その感情を外側に映して、相手がわたしを嫌な気持ちにさせる!と捉えて、相手をジャッジする。

ほんとうは、自分の中の、嫌いな部分や、強く禁じてることや、羨ましさを、映して見ているだけなんだけど。。。


だから、感情の正体、本音を、自分で受け止められることがものすごく大事だ!


そういうことを知り得ても、うまく立ち振る舞えない、言うなれば、生身の人間臭さを、愛おしむことができる、想像力を持とうと思った。


太陽系から600光年も離れた、遥か彼方のオリオン座の赤い星の話。
今見えている光は、今のものではない。


見えているものが、思考が受け取ったことが、ほんとうに、そこにあるとは限らない。


怒りや苛立ちは6秒で消えてゆく。
呼吸を感じてみる。空気が通る感覚。
良いとか悪いとかのレッテルがない、素のわたしがここにいた。
未熟でも、成熟でもない、素のわたし。

宇宙や惑星、海や山、川や森が生きているように、わたしの命もただありのままに今ココに生きている。

わたしは、結局、今日も、誰にも傷つけられてはいなかったことに気づく。
事実は、いまを生きている、ただそれだけ。
それだけが、真実。