コミュニケーション生き方

罪悪感への気づき、そして手放し

先週、サークルの各クラスでシェアした罪悪感の話。
もう一度、ブログでもシェアしようと思います。

なぜなら、女性が集合意識の中に持っている罪悪感、コレは、母親や祖母の姿を通しても、植え付けられてきているものだと思うし、この罪悪感でパートナーを見ることで、男性を、自分を不愉快にさせるイヤな存在、空気が読めない人、そんなふうに、悪役に仕立ててしまうこともあるからです。

先週のある日の夜、パートナーが夕食の洗い物をして、後片付けをしてくれていました。
ちょうどわたしもキッチンにいた時に『明日のお味噌汁を今、作っちゃおうかな!』って言ったんです。

その瞬間、わたしの心に『イラッ💢』とした感情が浮かんだことに気づきました。
《えー!明日の朝やるからいいよ!わたしはもう家事から解放されて自分の時間を過ごしたいのに!》とうのは、わたしの心の声。


パートナーは、わたしに手伝ってと一言も言っていないし、お味噌汁は一人で上手に作れるし、ホントに普通に面倒な声色でもなくて、さっと作っちゃおう!くらいの軽い意識で言った感じでした。

それに、もしかしたら、その日は夕食の準備の前も課題に取り組んでいて、それを見ているから、きっと深夜になると思って、翌朝が楽なようにと、考えてのことだったかもしれません。


けれど、わたしはイラッとしたわけです。

なんでイラッとしたんだろうと、その時、自分の心の中の、何を映したのかを考えました。

正体は、罪悪感でした。
罪悪感を映していました。


女だから、主婦だから、だったら自分がやらなきゃならない。
なのにやらないで、夫にやらせてしまうのか。
洗い物もしてくれてるのに。
という、罪悪感を映していました。

そんな罪悪感が嫌な気分を招いていて、そことは向きあいたくないから、
こんな時間にそんなこと言い出して!誰がやらなきゃならないと思ってるのよ!って、心の中で相手を責めてしまっていました。


コレって、相手が子どもの場合でもあると思うし、外のコミュニティの場や職場でもあると思うんです。


自分が引き受けないことへの罪悪感から、相手を嫌な存在にしてしまったり、やりたくないことを嫌でも引き受け続けたり。



自分の心理に気づけたら、パートナーは何も悪くないことにも気づき、わたしがその時に、朝やるよって言ったとしても、実際、朝になったら、昨夜、やっておけば良かったなって、後悔するかもって思えてきて、翌朝の自分が楽なように、今、少し手伝おうって、思考がシフトしました。

具材だけ刻んで、お出汁に入れて、『あとは、灰汁をとってお味噌ヨロシクね〜♡』と残りは全部委ねて、家事は閉店ガラガラ!終わりにしました。


こうして、わたしは、その夜、罪悪感に気づくことで、それを手放し、そのおかげで、犠牲の気持ちにならず、気持ちよくちょっとだけ手伝って、自分時間を過ごすことができました。

翌朝も、お味噌汁ができているおかげで、余裕のある朝になったわけです。


相手といいコミュニケーションを取るためには、まず、自分と出会っておくことって、とても大切です!

特に、気持ちが嫌な方へ動いた時、何を映しているかに気づければ、問題を相手に映さないで済むし、自分の問題だったということにも気づけます。


女性が家事を人に任せられないという心理には、いろんな理由がありますが、罪悪感からも起きるものだと気づいて、やらないことを自分自身で赦していくことが必要だなーって思った出来事でした。


他者や外側からは変えられません。変わっていけるのは、自分から。
何事も、アプローチは、インサイドアウト。
内側から変わっていくのです。