朝ドラの「まれ」をご覧になっていましたか?
今日のタイトルは、「まれ」で毎回美しい弧を描いて海水を蒔く、塩職人の元治さんを演じていた田中泯さんの言葉です。
田中さんはダンサー、舞踊家です。人間は言葉や文字を獲得する以前から踊っていて『カラダが一番正直な表現体』だとおっしゃっています。
田中さんがラジオでカラダのことを語るのを聴く機会がありました。こんな言葉が印象に残りました。
カラダは個人的な環境で、最初に初めて会うのがカラダ。カラダという場所があって自分がはじまる。
カラダはネットワーク、カラダが思いを持っている。
脳で追いつかないことが、カラダの組織の中で行われている。
(歩き方を)考えないでも歩いているし、カラダの中に脳のような物が幾つもある。
カラダが特別なものを持って死んでいく。それぞれが特別。
何兆もの、生まれたその特別なものが地球に残っていると思う。
誰かと交わす挨拶でも、ココロから言っているのか、習慣のように言っているのか、意識の中心がどこにあるのかで、意味や気配が変わる。
人のカラダは止まらない。常に動いている。
細胞はものすごく動くし神経も動き、大賑わいの中で、わずかな何かが垂直になり、心地いいところを探している。
言葉で交わしていると思っているコミュニケーションでも、実はわたしたちは、カラダを通して多くの情報を伝えたり、受け取ったりして、コミュニケーションしています。
赤ちゃんはカラダで体験して初めてわかることばかり。体験しながら、発達、成長していきます。
人生の悲喜こもごもも、カラダが体験しています。
ボディワークという身体とのコミュケーションでは、生徒さんやクライアントさんが、自分のカラダの中に自分とつながる何かを発見して目が輝いたり、自然と涙が出たりする時があります。
涙は不思議で、心が動いて流れていそうなときもあれば(実際には涙が流れて感情に気づいたり)、涙だけがスーッと流れても感情は何も動かない時もあります。
それくらい、ひとりひとりにとって、カラダは特別なもの。
カラダはとても賢く、どんな時も自分を守り、願いを叶え、最善を尽くそうとしていて、カラダを通して見えてくるもの、そこに、興味が尽きません。
そして、とても惹かれます。
カラダという場所があって、自分が始まる。
ほんとうにそうだな、と思った田中泯さんのお話でした。